Jupyter Notebookはもう使われなくなるんじゃないか
という気がしている。
まず、全体を流れる空気感として、Jupyter notebookは教育目的としては便利だけど、製品開発や研究目的には本当に合わないよね、というコンセンサスがうっすらあった。理由としては:
- 再現性のないnotebookが容易に生成されてしまうので、そもそもの設計として良くない
- .ipynbが実行のたびに都度書き換わるため、リポジトリ内部に保管するのには致命的に向いていない
- グローバル変数の多用によって全体としてコードが汚くなりがち
なので一部クラスタはNotebookを使わないでスクリプトを都度書くのだという立場だったと思うが、自分は比較的中立派で、結果から可視化用のコードを書き捨てるのには便利だから、適当な解析目的では使ってもいいんじゃない、くらいの立場だった。
しかし今はもう完全に使っていない。codexやclaude codeを使って楽に生成できるからだ。「inとoutが完全に明確でコメントや作業ログがきっちり書かれているスクリプトのほうが本来はいいけど、厳密に書くのは面倒だから、雑なやつならJupyter notebookでええんちゃう」とはならなくなってしまった。となると唯一の利点すらも無くなってしまった以上、今後はより使用頻度が少なくなってきて、Google colab…そういうのも、あったねえ…くらいのポジションになりそうな気がする。
難しいのは、じゃあ手放しでいまのagentic codingが信用できるかというと、全く信用できず、あーこれ報告に使ったらやばいよ、みたいなコードを挟んだりするので、結局は読まないといけない。しかし1年も経てばだいぶ状況は変わってくるだろうという気もする、のだが、だからといって手放しに信用できるもんでも、ないよなあ、みたいな肌感がある。ただ将来的にはJupyter notebookだけでなく、claude codeにとって相性の悪いプロダクト(i.e., シンプルなcliではなく副作用が大きすぎるプロダクト)は淘汰されていくのかなあみたいな思いはうっすらとある…
(なお、この文章は完全に人間によって書かれた。ブログ記事は人間が書いた方がいいと思っている。多少突っ込みどころがあったほうが文章として面白いのと、LLMに委託するとただでさえ衰えがちな文章力がさらに衰えてしまうからだ。ハーネスを人間が持つ都合上やはり文章力はあった方が良い)