博士課程に進むべきなのか?
人によるだろう、というのが一般的な答えだけど、それだと面白くないので、自分なりの考えを書こうとしたら長文になったのでブログへ移行した。
さて、博士課程へ行く(以下、D進と表記する)ことに意味はあるのか? 博士課程に行くことでいわゆる得をするのか? という問いに対しては、これまでに多くの著者が自分なりの思いを寄稿してきた。 その多くは、主に知的好奇心やキャリアプランという側面から答えている傾向がある。 例えば、自分の研究を突き詰めたいと思う人にとってはD進は意味がある、夢を追い求めるならばD進は良い選択である、大学教員や民間の研究職を志向するならばいつかは取っておかなければならない、などである。 んー、それは、全くもってその通りなのだけど、もう少し別の切り口からこの問題を捉えてみたい。 自分は2016年に博士号を取得したので、ちょうど10年目にあたる。 振り返ると初期はやや能力主義的な考えであったように感じる(そういう思考はトップ会議に通すうえで便利である)が、10年経った今ではその考えもいくぶん変化してきた。 本記事ではその変化も踏まえつつ、D進について議論していきたい。
さて、ワークライフバランスという言葉がある。 ワークとライフの意味には様々あるものの、ここではワークを、仕事を通して自己実現を達成する価値観、ライフを、パートナーや子どもを含めた家族を大切にする価値観とする。 われわれは、仕事を通じて自己実現をしなければならないという価値観を幼少期から叩き込まれてきた。 保育園や幼稚園のころから、われわれはすでに将来の夢について発表する機会を与えられる。 小学生のころは将来の仕事についての作文、人によってはエリートになるための中学受験、それからちょくちょく進路ー何者になりたいかーについての選択が続き、今ではキャリアプランという大層な名前がつけられている。 結局のところ、これらの取り組みはすべて、仕事を通した自己実現を大切にするという価値観に繋がっている。
D進という選択は、ワークライフバランスの天秤から、ワークの側に、ほんの少しだけ天秤を傾ける。 分野によっては博士号を取ることで収入や資産が大幅に増えることもあるだろうし、場合によっては減ったりするかもしれない。 しかしそこはそれほど重要でなく、仕事を通して自己実現をしやすいかどうか、で言えば、そういう環境を得られやすい、得られる可能性が上がる。 D進というのはそういう選択である。
興味深いのは、博士号を取った人というのは多様な進路を選択していて、中には博士号とは全く別の道を選ぶ人もいるのだが、またその進路も比較的自己実現を達成しやすい仕事であることが多い。 まあ定量的な比較などないし、元からそういう能力や経済的余裕があるからこそD進もするし、自己実現のしやすい職業を選べる選択ができるだけ、という反論もあるだろうし、それはあなたの周囲だけの話ですよね、という批判も想像できる。 ただあくまで肌感としては、人間というのは多様な相反する価値観を内包していて、なにかのきっかけでその一部がぽんと強く出る。 そして、D進を選択する人は、その進路選択をきっかけに、仕事による自己実現を大切にする価値観をもつことが多くなる。
じゃあその天秤をワーク側に傾けることでなにが犠牲になりやすいかというと、ライフの側になる。 もちろん博士号を取得して、いわゆるワークとライフを両立させている人もいる。 が、一般論としては難しい。 まず婚期の問題がある。 アカデミアにいると自覚しにくいが、ほとんどの人間は大学卒業後に就職する。 齢にして22歳。 一方博士はどうだ、順当に取得しても27歳である。 キャリアを順調に積んできているように見えて、実は別のキャリアに関しては全く積んでこなかったのだ。 5年以上遅れを取っている時点でだいぶ不利なのは想像がつくだろう。
そうした困難を乗り越えて、価値観が合う二人が結婚したとしよう。 二人とも仕事で自己実現を達成する価値観を信仰している。 そんな中、子育てのために片方だけが自己実現を捨てる選択が取れるか?というと、かなり難しいだろう。 なにせ5年以上のキャリアを苛烈な競争を通じて積んできているのである。 しかし結婚や育児には少なくとも何かしらの諦めか、思想を改めていくことが必要になる。
夫婦共働きで子育てをしながら自己実現を追求すれば良いのではないか? まあ、言うのは簡単というやつである。 社会はえ、みんなやっていますよ?そういうインフラも充実してきたし、みたいな顔をして待ち受けているように見える、が、なにを利用しようがDINKSよりパフォーマンスは落ちる。 競争社会である以上困難な道だろう。 ともかく、個人主義は個人が自由であることを重視するが、その価値観と結婚・育児は相性が悪い。 D進はそうしたバランスを崩す一方で、研究や仕事による自己実現を優先する選択である。
まあどちらに行くにせよ、後でやっぱこれ違うなとなってワークを進めることもできるし、逆にライフを進めることもできるので、進路選択自体はそこまで深く気にすることもないのかな、という感じはする。 ただ30代後半を過ぎると、修正することは少し難しくなってくるという感覚はある。 まあ興味の赴くままに進んでいくのもいいんじゃないでしょうか……という雑な終わり方……じゃあ自分の子どもにD進を進めるか?というと、それは、うーん……